日本列島改造計画 昭和40年、田中角栄氏が国会にて総理大臣に指名された年であり、同時に沖縄が返還された年でもある。 その総理大臣田中角栄氏著「日本列島改造論」が出版され、全国的に土地ブームがわき起こりました。 それまでは一部の富裕層にしか持てなかったいわゆる別荘が 一般庶民の手にも届くようになり人々は地方の山林を切り開き 開発された造成地の一画に小さな別荘を建て 自然環境に恵まれた山里の生活を楽しみはじめたのが「田舎暮らし」おこりではないかと思われます。 |
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「田舎売ります」業者出現 日本列島改造論が出版されて、しばらくして大阪のある起業家(当社先代社長)により 「田舎の農家売ります」という僅か数行の広告が新聞に掲載されました。 その起業家によると、自分は九州大分の農家の生まれで毎年 盆と正月には車で実家へ帰省するが 田舎には荒廃した農家とか旧家がたくさんあるな〜、もったいないな〜という気持ちが根底に芽ばえ それが田舎不動産を扱うきっかけになったとのことでした。 確かに高度経済成長に伴い民族の大移動のごとく地方の若者が都会へ都会へと流れていき、 その結果田舎は過疎化が進み老人ばかりが残ってしまった。という背景もありましたが この「田舎売ります」業者が現われたということで田舎に一筋の光が指し込んだことも事実であります。 |
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マスメディアが取材・報道 昭和56年11月 山陽テレビにて「余生は農村で」が放送され、 都会から田舎へ移住した当社のお客様の日常生活振りが紹介されましたが、 あまりにも視聴者の反響が大きかったので東京のTBSが親局となり 翌12月報道特集「余生は農村で」が若干内容を変えて30分番組で放送されました。 これを皮切りに各メディアが田舎暮らし体験などを日常的に取り上げるようになりました。 特に昭和60年9月6日付け、日本経済新聞に「晴耕雨読、心も身体も健康。田舎暮らしキラキラ。 中年族の志向、ただ今激増中」(下段参照)という 6段抜きの記事が掲載され、 視聴者から当社や新聞社等に問い合わせが殺到しました。現在の田舎暮らしに関する テレビ放送は田舎暮らしの実態とは少々かけはなれてはいますが、 テレビ局のディレクターの言によれば「田舎暮らしに関するテレビ番組を手懸ければ安定した視聴率が見込める・・・」 これは田舎暮らしに関心を寄せる人々がかなり増加してきたことの証であり、 今日では「田舎暮らし」という一つのライフスタイルが世間一般に定着したと言っても過言ではないでしょう。 |
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政府も支援 今日の成熟した長寿社会、ライフスタイルの多様化および交通利便性の向上等を背景として 国民の居住に対する価値観が多様化する中で、自然環境豊かな田舎で ゆとりある生活をしたいというニーズが高まってきたこと。 一方農山村地域では高齢化や過疎化の進展により地域社会の維持に深刻な影響が生じてきており 地域活性化の観点からも都会から田舎への定住、都市と田舎の交流の促進等の必要性から ある一定の条件のもとで田舎暮らしを支援する法律ができ現在施行されております。 又民間の金融機関も「田舎暮らし」に対するニーズの高揚に対して積極的に融資を実行する動きも見受けられます。 |
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『優良田園住宅の建築の促進に関する法律』 国土交通省、農林水産省の共管法 |